2008年2月22日金曜日

「こんなことあり?心筋梗塞と直腸ガン」

(2月22日) 今は午後10時、就寝前のほっとした時間です。今日から、数日後に控えた直腸ガン手術闘病記のブログを立ち上げ、私の闘いを記録していきます。その前に直腸ガン発見に至るまでの経緯を記述していきます。
 平成19年12月5日、数日前より胸の痛みと背中から左腕にかけての痛みが出ては引っ込みの繰り返しがある。そして、何時もの様に夕食を済ませた後、ソファーでくつろいでいると突然火鉢で胸を刺した様な痛みと嘔吐、そのまま床に就くも胸の激痛は治まらず、救急車を呼ぶことも考えたが、ここは我慢をして朝まで待って主治医に相談する事を選択。しかし、胸の激痛と嘔吐で一睡も出来ず、3度目の嘔吐で床から起き上がった時、足はがくがく意識朦朧、やつとの思いでトイレに駆け込み嘔吐。ところが、嘔吐のおかげなのか意識が戻り、危機を回避。時間は午前3時30分。この時程時間の経過が長く感じたことは無かった。
12月6日、なんとか一夜を持ちこたえることが出来、主治医に緊急の電話をかけると至急来院せよとの指示。妻と娘に付き添われ診察を受けることとなり、問診、心電図、血液検査の結果狭心症との診断を受けるも、血液検査の結果によっては最悪の事態も考えるとの説明を受け、一時帰宅する。自宅で横になっていると昨夜の痛みは半分ほどに軽減しているも眠ることは全く出来なかった。午後6時ごろ主治医より検査結果の電話を受け最悪の事態との報告。再度来院せよとの指示を受け、重い気分で妻と息子カップルに付き添われ車に乗り込む。主治医の説明によると心筋梗塞の疑いが強く、至急救命センターにて検査受診の必要ありとの事。その足で総合医療センターに向かい、精密検査の結果急性心筋梗塞と診断され、緊急手術となる。深夜午前1時30分手術終了、激痛発症から31時間が経過していた。
 12月7日、手術を終え、ICUに搬送されここからが一番辛い時間を過ごすこととなる。心筋梗塞の手術は、大腿動脈からカテーテルを挿入し患部の血栓を溶解し、その場所にステントと呼ばれる網状の管を装着し狭窄部を保護するまでの手術である。その後は当然動脈を切開しているため動脈の緊縛を行わなければならない。そのことは全く頭になかったため、7時間に渡る地獄の時間が待っているとは夢も思っていなかった。足はパンパンに腫れ、そして痺れと全く身動きが取れない状態は経験したものでなければ絶対に理解できない。二度と再発させないと心に誓う。
 12月9日、一般病棟へ移る日が来た。待ちに待った日である。そしてこの日より心臓リハビリの開始である。手術後の心臓は豆腐のようにもろく、急激に負荷をかけると悲鳴を上げ壊れてしまうそうである。そのために日に日に歩行距離を伸ばし、慎重に運動する必要がある。そして退院前には歩行時ベスト心拍数をだすため、心臓に最大負荷をかける検査が行われる。私のベスト心拍数は108/秒である。〔この心拍数で歩くのは大変〕
 12月12日、入院一週間、そろそろ退院できるのではと思えるほど回復する。しかし、ここで主治医より血液検査について疑問があるとの指摘を受ける。それは貧血がひどく、鉄分が正常値〔66~209〕の最低よりさらに低い27で、ヘモグロビン等も基準値以下との事。考えられることは消化管のどこかで出血があり、精密検査の必要があるとの事。私は、10年ほど前強烈な下血を経験し、その日からずっと下血の日々を繰り返していました。まさしく身に覚えのあることで、ついにこの日がやってきたと覚悟を決めました。まずは、血液検査、便検査が行われ、その結果腫瘍マーカーCA19―9が以上に高く、がんの疑いが非常に高いと診断される。胃カメラ、膵臓・胆嚢・肝臓・腎臓・脾臓の超音波検査、すべて異常なし。残るは大腸、入院中には検査できないとの事で、年明けの1月4日大腸カメラ検査の予約となる。そして、心筋梗塞は12月22日無事退院となる。 ここまでが心筋梗塞発症から退院までの経緯であります。明日は、今年に入ってからの大腸検査の実体をお話ししたいと思います。では、お休みない。

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