2008年3月2日日曜日

(3月2日)
 手術3日目、昨夜はかみさんが早く帰ったので、8時に寝ようとしたが全く眠ることが出来ず、12時近くに睡眠剤を点滴投与してもらう。とは言ってもなかなか効いてこないみたいで、変な夢ばかりを見ては目をあけの繰り返しを行っていた。非常にきつい一晩でった。今晩が又思いやられる。
 午前10時30分、町内の仲良くしている夫婦が見舞いにきてくれる。しかし、ご主人は部屋に入るなり、奥さんに部屋を間違えたみたいと、出ていってしまった。久しぶりに会うのとあまりの風貌の変化に人間違えと思ったみたいだ。やせると人相まで変わってしまう。
 午後12時弟子が見舞いにきてくれる。一番の信頼を置いている弟子で、現在も私の代わりに障害者施設に行っていてくれる。有り難い事だ。
 午後1時、初めて親父をかみさんたちが連れてくる。薄々感じ入るみたいだが、本人には癌であることを今も告げていない。約1時間面会の後娘の車にて帰宅する。
 午後2時同業者の先生が見舞いにきてくれる。前回の心筋梗塞の際には知らせてなかったので今回はいの一番に駆けつけてくれた。有り難いことだ。
 午後3時、2回目の歩行距離は約100メートル、大幅に更新する。明日からも距離を伸ばしていき、一人で部屋の中を歩き回りたい。
 午後4時、懇意にしている薬剤師の先生か見舞いにきてくれる。漢方系を得意としている先生で、先生自慢のクロレラの原液を持参してくれる。もう少し様子を見て飲もうと思っている。かなり疲れてきたので、今日はここまでとしたい。書き忘れたが、今日は息子の国家試験の日だ。祈っている。

2008年3月1日土曜日

(3月1日)
 今日から3月、今は午後2時20分、手術2日後、昨夜放屁(おなら)が出る。お腹が絶えずごろごろ言っている。腸の手術で一番大切なのはガスが出ることで腸の蠕動が始まった証拠なのである。これがないと何か異常があると考えなければならない。それと、昨日書き忘れたが、お腹から管が1本出ている。これは内部にたまった出血を排出する役目と、吻合部から便が漏れてこ無いかの確認のためである。命の綱である。私の場合運良く人工肛門にはならなかったが、もし吻合不全であれば再度手術をし、人工肛門の増設となる。このようにならないことを祈っている。
 夜が長い、そして辛い。仰向けのまま寝ていることの辛さはどう表現したらよいか判らない。まずお尻が痛い、腰が痛い、痒い、左右に向けない苦しい経験は4回目だが、今回は動くと切開した傷口と、チューブが出ている左下腹部の痛みが尋常ではない。
 午前11時本日初めての歩行を行う。距離にして約20メートル、昨日より距離は伸びたがとにかく痛い。想像を絶する痛さである。点滴の管、尿の管、体内からの管をぶら下げ看護師さんに支えられて歩くのである。すれ違った高齢の女性も同じように歩行している。私より少し前に手術されたそうである。
 午後1時、かみさん到着、ヨーグルト、プリン等の摂取許可となり、プリンを初めて食べる。お腹がごろごろ強烈に唸っている。内臓内部が久しぶりの食べ物でびっくりしているのだろう。
 午後3時2回目の歩行、朝と違いあまり痛みもなく思った以上にスムーズに歩行できる。距離は50メートルほどに伸びる。この調子で明日からもがんばるつもりだ。

2008年2月29日金曜日

(2月29日)
 今は、午後2時53分お腹が痛い。昨日の手術は1時から6時、約5時間を要した。1時に手術室に入り、まず左手首の動脈から点滴用の針を通すのだが、研修医が行ったためなかなかうまく入らなかった。次に背中の胸椎の間から硬膜外麻酔のため管を通す作業で、これはベテランの麻酔医が行ったためスムーズに入る。次は、先ほどの手首から睡眠薬を投与され、そこからは全く覚えていない。部屋に帰ってきてからは、まだぼーつとしており多少の記憶しかない。深夜から朝にかけては、お腹と腰の痛みとの闘い。お腹はお臍の上から約25センチ切ってあり、少し動くだけで激痛が走る。
 午前6時血栓予防のために取り付けてあったフットマッサージ器の除去と、枕使用可となる。
 午前8時、酸素マスク外れる。少し楽になる。その後かみさんより少し早く、娘が到着と同時に、初めてベッドで起きあがり、看護師さんに清拭をしてもらう。次は、一度立つ練習をする、頭がくらくらし、同時に吐き気を催す。元々強い貧血があるので、起立性の貧血が起きたみたいだ。 午後12時かみさん到着、娘と交代である。娘は、遅刻して仕事に向かう。今は、ベッドで背中を上げた状態にしている。貧血の改善をするためだ。
 午後2時初の歩行をする。よたよたで、高齢者のようだ。頭のふらつきはないが、お腹が痛い。無事に約20メートルほど歩行。本当にきつい、日に日に良くなっていくと思うが、今日はきつい。
 2時30分、主治医の回診、今朝の血液検査結果、ヘモグロビンもあがってきており、輸血は必要無いとのこと。そして、水の補給の許可もでる。少し怖いが、30CCほど飲んでみた。生きた心地がする。

2008年2月28日木曜日

(2月28日)
 ついに手術当日を迎えた。昨晩は殆ど考えることもなく、又睡眠薬を飲むこともなく眠ることが出来た。下剤を就寝前に飲んでいるため、5時30分に便をもよおしトイレに行く。
6時40分看護師さんに起こされ、血圧と体温測定。7時、約60mlの浣腸をする。即座に便意をもよおすが20分は我慢とのこと。非常にきつい!!
 9時、看護師長さんから個室への移動と、手術後の痛み等のケアについて軽い説明を受ける。昔と違い、硬膜外麻酔等により術後は殆ど痛みが無く、翌日には起きあがったり、歩行も開始するとの事である。その言葉のおかげで少し不安が薄らぐ。
 9時25分、主治医の訪問、「一緒にがんばりましょう」との励ましの言葉、再度気合いを入れ直す。
 10時、トイレシャワー付きの個室に移動する。個室に移動したことにより、プライバシーが守られ、周りに気兼ねなく話をしたり歓談できる事は、ストレスを抱え込まなくてすむので、手術後は快適に入院生活を送ろうと思っている。
 10時40分点滴開始。当分の間点滴にお世話になりそうである。
11時30分家族到着。手術室移動まで2時間を切った。これから向かうのだが、手術後には動けそうにないので、本日のブログはここで終了とする。無事に帰ってこれれば、明日には再開したいと思っている。それでは行って来ます。

2008年2月27日水曜日

(2月27日)
 手術前日、今日は朝から絶食だ。直腸癌と診断されてから酒は断っているので、唯一の楽しみの食事がとれないのは本当につらい。自覚症状は腹痛はなく下血のみなので、食欲は旺盛なので余計に辛い。その代わりに脱水症状を防ぐための点滴を開始している。何処へ行くにも点滴を引っ張って歩く。すれ違う患者さんも同じように点滴を引っ張って歩いている。ようやく病人になったような気がしてきた。午前中は、看護師さんから臍の消毒と、手術後のベッドでのうがいの仕方と、麻酔が覚めだしたときの深呼吸の指導を受ける。
 午後5時、家族を交え主治医より説明を受ける。病名直腸癌、ステージⅡ進行性である。予定手術低位前方切除術+リンパ節郭清、腫瘍部を含め約15センチほど切除、リンパ節を奥まで切除する手術である。合併症として縫合(機械により肛門から挿入した機械と内部からの機械をドッキングさせ自動縫合する)不全 、出血、感染症、腸閉塞等があり、このような場合は再手術をして、人工肛門の造設もあり得るとのこと。只、確率としては5~8%とのことで、先生を信頼して手術に望むつもりである。
 午後6時、麻酔科の先生と対面。麻酔方法は全身麻酔+痛み止めのための硬膜外麻酔の併用である。話を聞いていると不安な部分も多々あり、現実をやっと直視することとなる。今晩は、下剤を飲み、眠れなければ睡眠薬をとの指示もあり、本当に不安な一夜となりそうである。それと、なにも食べていない空腹も手伝い、ペンの走りも鈍くなっている。とにかく明日だ。

2008年2月26日火曜日

(2月26日)
 入院2日目、昨日の夜は、消灯時間が早く周りの入院患者さんも早く就寝しているので、ベッドに横たわってみたが、ベッドの堅さと周りが気になり、なかなか寝付く事ができず、逆に看護師さんに採血のため朝起こされる始末であった。朝食は減塩低カロリー食となったため、ご飯・みそ汁・ふりかけ・ほうれん草・お菓子のような卵焼きであった。明日からは絶食となるため、今日が最後の食事となるので思い切り食べようと思っている。食事がとれる頃には体重は4~5キロ落ちているのではないかと思っている。   入院前に殆どの検査を済ませているので、午前中は胸部と腹部のX線撮影を行う。研修生の女性医師から異常なしとの報告を受ける。
 昼食後、初めての風呂に入る。ボディソープはあったがシャンプーがなかったので、そのままボディシャンプーで頭も洗う。髪がキシキシして変な感じである。3時、かみさんが来る。昨日友人夫婦から頂いたケーキを一緒に食べる。当分食べられそうにないので味わって食べる。実は、父には病名を告げていない。何故かというと、心筋梗塞で入院した際、あまりの心配のため、一晩一睡も出来なかったみたいで、当総合病院の玄関先で後方にまともに倒れ、頭部の裂傷だけですんだのだが、その後頻脈の薬を飲んだことを忘れ、間違えて2錠飲み、逆に徐脈(脈拍1分間に20)となってしまい、食事中に倒れ救急車で入院となった苦い経験があるので、今回は病名を伏せておこうということになった。どこの親も子供が幾つになろうと子供であるという証拠なのだと思う。出来れば退院するまで病名を知らせないようにするつもりである。
 午後6時、最後の食事、明日は朝から絶食のためである。味わって食べようと思ったが、残念ながらあまり得意ではない魚(鮎の煮物)であった。それでも、ひょつとして本当に最後になる可能性が無いわけでもないので、ゆっくり食することとした。現在午後8時15分頃、面会時間も終わり、後1時間後には消灯となる。

2008年2月25日月曜日

(2月25日) 
 ついに入院の日となる。朝から家中が慌ただしい。仕事が代診治療となるため、代診の先生に前回の入院時と同様午前中のみお願いすることとなる。息子が3月2日に私の跡継ぎとなるべく国家試験をを控えているので非常に申し訳なく思っているところである。 午前10時、妻と娘に付き添われ、総合医療センターに向かう。外科の受付にて手首にバーコードの識別のついたタグを巻き付けられ、8階の外科病棟へと進む。ここで初めて担当の看護師と対面、前の入院時にも感じたことだが、看護師さんのできが非常によい。年末に父(82歳)が時を同じくして入院をしていたのだが、その病院の看護師とは比べものにならないくらいよい。心底、受け答え・親切心等自分から出てるものと思われる。患者にとって、一番頼りにしているのは絶えず側にいてくれる看護師であるで、これほど心癒されることはない。リラックスして入院生活が送れれると思っている。
 入院手続きを済ませ、部屋に入るわけだが、最近の病院は昔のイメージとは大きく変わり、大部屋でも完全に個人のプライバシーが守られるように部屋割りがしてあり、個室ではないかと思わせる造りとなっている。これならば周りにあまり気を遣わず入院生活をエンジョイ(私だけかも)できるというものだ。その後看護師さんから手術までの大まかな説明を聞き、入院着に着替えをする。その際、主治医の外科部長から主治医の変更があったことを知らされ、大学病院の救命センター出身の腕のよい頼りになる先生であるとの説明を受ける。私の外科部長先生の印象は、昨日のブログで書いたように、決してよいものでは無かったので、内心ほっとした思いである。そして、新しい主治医への期待が高まっている時、外科部長回診の時間となり、その時に初めて主治医との対面となった。思っていたように外科部長先生とは正反対で、信頼の置ける先生であると直感し、その後の会話にてそれが本当のものとなった。これで安心してまな板の上に乗れそうである。